片山晋呉といふ男


晋呉が永久シード選手の仲間入りを果たした。
25勝。
その25勝目を日本オープンの優勝で飾ったのを、私はTVに噛り付いて見ていたのである。
視聴者の多くは、石川君に期待して、恐らくは石川君の活躍を視るために、という理由で視ていただろうと思うが、私に限っては、というのも変な言い方だが、私の場合“晋呉の25勝目を視るために”という理由で、福岡は古賀で行われた2008・日本オープンを視ていたのである。

あれこれと批判の対象にされ、巷の人気は、御世辞にも「ある」とは言えない“日本のトッププロゴルファー・片山晋呉”という人間は、確かにとても風変わりな人物だ。
プレーに関しても、これといって特徴がなく、晋呉のゴルフに“優れた部分”を見つけることは、ある意味むつかしくもある。誰にでも判る部分といえば「集中力が凄い」くらいのものだろう。

しかし、こと兵法に照らし合わせてみれば、道理には叶っている。
孫子十三篇(軍形篇)に「善く戦う者の勝つや、知名(智名)も無く、勇功も無し」とある通り、最善の戦い方をする者は、特別な寄せ手を用いない。攻守に最善を尽くせる者こそが、真の強者なのだ。
かつて晋呉が言った 「ゴルフはボールを何処まで飛ばすというゲームでもなければ、どんなボールを打てるかを競うゲームでもありません。一打一打を、何処に停止させるかを競うゲームだと思っています」という言葉・・・この言葉にこそ、晋呉自身のゴルフ感が集約されているのではないだろうか。即ち、プレーに特徴が見られないことこそが片山晋呉が強者たる所以なのではないだろうか。
それを晋呉は、自ら切り開き、また、自分流に証明している。

「夢は米ツアーに参戦して勝つこと」 なんて言葉を金科玉条の様に宣う若手プロ達。
この言葉は、実は、昔から使い旧されてきた言葉だ。
御約束の様に「米ツアーに参戦したい」と、口を揃えて宣うプロゴルファー達。その実、日本の試合で活躍したことも無いプロゴルファーであっても、老若を問わず、みんながみんな“この言葉”を口にしたのである。 
まるで“馬鹿の一つ憶え”の様にだ。
そんな中にあって「永久シード権を獲る」・・・この言葉を宣った若手プロゴルファーは、たった一人を除いては全く存在しなかった。まさに、片山晋呉だけだったのである。私の四半世紀を越えるプロ生活の中で、たった一人からしか聞いたことがなかった言葉なのである。

マル(丸山茂樹)とシンゴじゃ、ホントはマルの方が凄いでしょ?だってマルは“米ツアーで3勝もしたんだよ!?”、なんて言葉を度々聞くが、しかし、この論争は不毛と言える。
マルにしろ晋呉にしろ、自分の目標や夢に邁進している『まだ夢の途中』にあり、そんな中、どちらが凄いかの評価など、逆に言えば二人にとって「どうでもイイこと」な筈だ。双方が己の目標や夢に向かって突き進んでいる……それが、プロゴルファーなのである。

マルは天性の明るさで、人当たりも良く、デビュー当時から選手間でも人気が高かった。逆に晋呉は、周囲の眼を気にしない突飛な行動と、集中力が高いが故のプレー中の無愛想さで、選手間での人気もイマイチだったようだ。
宮崎で開催される某有名トーナメントの最終日に妙なタスキを懸けて優勝して以来、片山晋呉を批判する声は雲霞の如く広がって、最近では某四大メジャートーナメントをドタキャンしてみたりと、行動に人間性を疑われている部分は確かに否めない。
しかし、少なくとも私に対する片山晋呉は、いつも礼儀正しかったし、私ごときの質問や意見にも真摯に耳を傾ける人物だった。
いつだったか、JGTOの選手総会(試合会場で行われる総会)で、フィジーという国の日本語が堪能な某外国人選手が、片山晋呉が不在の総会で挙手し、明らさまに晋呉批判をしたことがある。が、そんな欠席裁判のようなことはヤメようということで、その話は立ち消えとなった。そこで今度は、その某外国人選手、批判の矛先を「日本人選手の服装の乱れ」に変えたのだが、笑えることにその某外国人選手自体が、試合会場で禁じられている服装で総会に出席しているという馬鹿馬鹿しい一席があった(笑)。
私は思う…恐らく、その某外国人選手は、何でもイイから、ただ誰かを批判したかったに過ぎなかったのではなかろうか。同様に、晋呉批判の多くは、そういった色合いが濃いように私は思うのである。
片山晋呉は、“試合で自分の持てる力を100%発揮したい”という気持ちに、ただただ忠実なだけなのではないのだろうか。

プロゴルファーであれば誰でも、「ゴルフのためなら努力を惜しまないか?」と問われれば、確かにそうだと答えるしかないだろう。だが、それは所詮、“絶対的な部分での認識”にしか過ぎず、例えば、その努力の姿を実際に見た人間から「努力していない」と言われてしまえば、また、それはそれで正しくもある。しかし、正しくないとも言えるのではないだろうか。

 では、あなたは御自分の仕事に全精力を傾けて努力をしていますか?。

もし「はい」と答えた御人であろうとも、晋呉の“努力する才能”に勝つことはできない。
晋呉は、自分のプレー向上の為には、本当に何でもする。ただそれだけを見つめて、ひたむきに努力することができる人間なのだ。
そして、如何なる批判をも享受し、自己が邁進することを決してヤメないのである。
その精神力と発想能力は将に異常人のそれであり、常人の知るべきところを遥かに凌駕しているとさえ断言できる。

たぶん晋呉は今後、6人の永久シード保持者達から六人六様の言葉を懸けられる筈だ。
その言葉を晋呉は必ず噛み締める。
片山晋呉を理解する必要や意味はない。しかし、晋呉自身が伸びてゆきたいと願う心に、我々が歯止めを掛けることにも意味はないのである。

ただし。永久シード権保持者としての、日本の歴史に残るプロゴルファーの一人としての、自覚だけは重要だ。今後の彼の言動にこそ、私は注目をしている。
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  by h_gohda | 2008-11-08 21:19 | 闘ふということ 

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